施術者プロフィール

学生時代

 

子供の頃はよく、祖母の足をマッサージしていました。

私の祖母は、子宮筋腫の手術後リンパ浮腫になり、足がパンパンで苦しんでいました。

マッサージをする前は「面倒くさいな」とか「遊びたいのに」とか思っていました。

でもマッサージ後には「楽になったよ。ありがとう。」と祖母が喜ぶので、私も嬉しくて「マッサージしてあげて良かった」と思いました。

思い返すとこの経験が、治療家になる一因となりました。

高校では空手道部に入部しました。公立高校だったので私立ほど部活に力を入れている学校ではありませんでしたが、仲間達とともに夜遅くまで練習に明け暮れました。

しかし2年生の冬のある日、私の腰に異変がおこりました。練習中に突きをした瞬間、腰の痛みで動けなくなってしまったのです。

痛めた瞬間は、「腰が取れてしまうんじゃないか?」「骨が砕けたんじゃないか?」と思うほどの激痛で、何をしても痛い状態でした。腰の椎間板ヘルニアでした。

整骨院に一ヶ月間毎日通い、コルセットをつければなんとか生活できるまで回復しました。

その時は本当に嬉しくて、治療してくれた先生には感謝しかありません。

この時私もこんなふうに、多くの人の助けとなれる仕事をしたいと思ったことを覚えています。

就職 治療家へ

 

治療家になろうと思ったものの生来の気の弱さが顔を出し、本当に私に治療ができるのかと怖くなってしまいました。

そこで「まずは社会人経験を積んで、お金を貯めよう」「医療は人と接する仕事だから、営業職なら後で役に立つだろう」と言い訳をし、無難な一般企業に就職しました。

今考えると、患者さんに治らないと言われる恐怖から、私は逃げたのです。

私の仕事は、機械設計会社の営業でした。

全く知識もなく興味がある分野でもありませんでしたが、内定を貰えたのはこの会社だけでした。

新規顧客開拓のため、ひたすら電話営業をしていた時があります。

とても非効率で、お客さんは全く話を聞いてくれません。

他の方法を提案したのですが、私の能力不足でやり方を任せてはもらえませんでした。

ある日お客さんに説明している時「テープを聞いてるのかと思ったわ」と言われました。

私はハッとしました。自分は仕事に打ち込んでない。

上司に言われていやいや電話をかけていたので、全く張り合いがなかったのです。

いやいや働いている私と比べて、父は朝早くから夜遅くまで働いている、仕事が大好きな人でした。

私が起きる前に出社し、私が寝てから帰宅する。

家族が寝静まった後に帰って来るので、幼い私は「お父さんはドロボウみたいだね」と言いました。

今思えば父はショックだったでしょう。

その後一緒にジグソーパズルを買って、二人で取り掛かりました。

朝起きるとパズルが少し埋まっていることが、父の存在を感じさせてくれました。

子供ながらに「時間を忘れて打ち込める仕事をしているなんてスゴイな」と感じていました。

父のように心から打ち込める仕事をしたい。

安定のため上司に言われたことをいやいやしている自分に、我慢ができなくなりました。

私が打ち込める仕事とは何かと考えた時、祖母のマッサージをしていたこと、ヘルニアを治療してもらって嬉しかったことを思い出し、治療家として独立開業に挑戦しました。

治療家から指導家へ

 

ありがたいことに開業当初から、様々な患者さんにお越しいただきました。

その中に、私の治療家人生を変える患者さんがいました。

膝の痛みが辛くて来院した患者さん。

治療した後は楽になっても、翌週にはまた痛くなる。

それを繰り返しているうちに、治療で良くなるより日常生活で悪くなる方が大きくなりました。

なんとかしなくてはと思い、私は治療技術を向上させるため膝の治療術を学びました。

膝の治療を学んでも結果は変わりません。

股関節の治療を学んでもダメでした。
骨盤の治療も学びました。ダメでした。
腰の治療も学びました。ダメでした。

膝の治療や股関節の治療を最受講したけど、悪化のスピードに追いつけません。

日常生活の中に膝を悪化させるさせる原因があるはず。

でも立たないわけにはいかない。歩かないわけにもいかない。どうしたらいいんだ!

私が悩んでいるうちに、その方は膝の痛みのため仕事をやめました。

私がもっとしっかりしていれば、仕事をやめなくて済んだかもしれないのに。

悔しくて悔しくて、たまりませんでした。

それから日々の行動や動作を改善する方法を模索し始めたのです。

そんな時、歩き方で様々な症状を改善している人と出会いました。

それが「ゆるかかと歩き」を提唱している中島先生だったのです。

「ゆるかかと歩き」を習得すると、足だけでなく全身の不調が改善し、良い状態をキープできる。

目から鱗が落ちました。まさに私の求めていたものでした。

指導家として

 

「ゆるかかと歩き」を学べば学ぶほど理論に納得し、これは多くの人に知って欲しいと思うようになりました。

患者さんが治療で治りきらなかったのはカギは、歩き方にあるという事。

当時の私は全く思いもしませんでした。

正しい歩き方があり、歩き方によって多くの症状を改善させられるなんて。

私自身の足を測定してもらった結果、なんと右足が軽度の外反母趾(16度)だったのです!

今まで一度たりとも自分が外反母趾だと思ったことはありませんでした。

私は治療家でありながら、自分の足に興味を持っていなかったのです。

自分自身が正しい歩き方を実践し、2ヶ月で約14度、4ヶ月で約12度まで改善し、その後も維持し続けています。

角度の改善だけでなく、巻き爪や足の裏のダルさも無くなりました。

みなさんも「ゆるかかと歩き」で人生を変えてください。

私も指導家として「ゆるかかと歩き」を広めるべく、日々奮闘しています。